「素晴らしき日々 ~不連続存在~」感想
- 2015/10/08
- 20:02
公式サイトはこちら
(先月の今頃からは全く想像もできなかった)サクラノ詩マスターアップということで、自分も追いかけようと思うべく、素晴らしき日々をプレイしました。項目ごとに感想を書きつつ、最後にシナリオとかテーマについてまとめたいと思います。
先に言っておきますと、全体としての満足度は自分が今までプレイした作品全体で見ても、結構高いです。そこのところは概ね評価通りと言ったところでしょうか。
シナリオ
ネタバレを含んだ概要は続きの方にまとめるので置いておきますが、とりあえずは、「最初は意味が分からないけど、分かってくると色々と見方が変わって面白い作品」です。このあたりはプレイしてみると良く分かるのですが、1章から3章まで、特に2章に関しては、初見プレイだと中々理解が及ばず、プレイするのが苦痛に感じてしまうかもしれません。このあたりは他の多くの方も言われていることなのですが、これが4章、5章と入るにつれて謎が解けていき、伏線回収の楽しみ、そして1章から3章への理解につながります。
ただ、自分としてはこの伏線回収の部分が少しマイナスで、基本的に何の演出もなく伏線が回収されてしまうため、盛り上がりに欠けると言いますか、驚くと言うよりかは、「次々に入ってくる情報を理解して整理しながら読み進める」という気持ちが強くて、純粋に驚けなかったのはマイナスに感じられました。正直演出が弱かったかなあと思います。ただ、淡々と演出する以外ない部分でもあるので、そこのところは微妙なところです。ちなみに、伏線回収の内容自体はかなり理解がしやすく、情報の整理がしにくかったかと言われればそうでもなく、ここに関しては構成の上手さを実感しました。
しかしその先、特に「世界の限界について考える」というテーマについては、自分はかなり面白く感じられました。俗に考察ゲーと言われる所以、考える楽しみがあります。ここは個人差のある部分ではありますが、先程も書いたように、構成自体は非常に単純な作品なので、楽しみを見出すならやはりこのあたりでしょうか。
音楽
ボーカルソング、BGM全体を通して非常に良かったです。「空気力学少女と少年の詩」だけはプレイ前から知っていましたが、その他プレイ後にEDとして流れるボーカルソングも良い曲ばかりです。個人的には終ノ空エンドで流れる「呪われた生/祝福された生」の不安定で安心できない感じとか特に。
絵とか
今の自分の感覚からすると少し古臭い感じもしますが(ファンに怒られそう)基本的には満足でした。羽咲ちゃんの絵とかめちゃくちゃ可愛いし、間宮卓司の絵とか最高に不安定になるし、こういうのも含めて作品の味になっていると思います。実際狂気的な作品ではあるので、美麗すぎる萌え絵だったらそれはそれで考え物ですし。
エロシーンについて
和姦から凌辱からレズからホモから女装から…なんて混沌とした作品なんだってのはプレイ中何度も感じましたが、そのすべてがなんだかんだで作品のテーマに繋がっていくってのは流石だと思います。流石に薬物とかあのあたりはやばさしか感じないので実用性的にはあまり高く感じませんでしたが、代わりにレズプレイが思わぬ収穫でした。(プレイするジャンルの傾向上)意外とレズの18禁シーンに出会うことが少ないのもありますが。
総評
基本的に面白くなってくるまでが遅い、難しい言い回しが多い、理解に及ばない部分が多いなど、「人を選ぶ」という言葉がふさわしい作品ではありますが、反面、伏線回収は非常に理解しやすいですし、後半になるにつれてシナリオに良さを感じやすくなる、いわば「大筋の理解が容易な考察ゲー」として、この手の作品のあるべき姿は取っています。サクラノ詩もこの調子ならやってみたくなると思う程度には名作でしたが、雰囲気の良さとか感情移入とかを求める自分からしたら、神格化出来るほど好きにはなれなかったという感想もあります。いやまあ、面白かったですけど(2回目)。
以下ネタバレ雑記↓
(先月の今頃からは全く想像もできなかった)サクラノ詩マスターアップということで、自分も追いかけようと思うべく、素晴らしき日々をプレイしました。項目ごとに感想を書きつつ、最後にシナリオとかテーマについてまとめたいと思います。
先に言っておきますと、全体としての満足度は自分が今までプレイした作品全体で見ても、結構高いです。そこのところは概ね評価通りと言ったところでしょうか。
シナリオ
ネタバレを含んだ概要は続きの方にまとめるので置いておきますが、とりあえずは、「最初は意味が分からないけど、分かってくると色々と見方が変わって面白い作品」です。このあたりはプレイしてみると良く分かるのですが、1章から3章まで、特に2章に関しては、初見プレイだと中々理解が及ばず、プレイするのが苦痛に感じてしまうかもしれません。このあたりは他の多くの方も言われていることなのですが、これが4章、5章と入るにつれて謎が解けていき、伏線回収の楽しみ、そして1章から3章への理解につながります。
ただ、自分としてはこの伏線回収の部分が少しマイナスで、基本的に何の演出もなく伏線が回収されてしまうため、盛り上がりに欠けると言いますか、驚くと言うよりかは、「次々に入ってくる情報を理解して整理しながら読み進める」という気持ちが強くて、純粋に驚けなかったのはマイナスに感じられました。正直演出が弱かったかなあと思います。ただ、淡々と演出する以外ない部分でもあるので、そこのところは微妙なところです。ちなみに、伏線回収の内容自体はかなり理解がしやすく、情報の整理がしにくかったかと言われればそうでもなく、ここに関しては構成の上手さを実感しました。
しかしその先、特に「世界の限界について考える」というテーマについては、自分はかなり面白く感じられました。俗に考察ゲーと言われる所以、考える楽しみがあります。ここは個人差のある部分ではありますが、先程も書いたように、構成自体は非常に単純な作品なので、楽しみを見出すならやはりこのあたりでしょうか。
音楽
ボーカルソング、BGM全体を通して非常に良かったです。「空気力学少女と少年の詩」だけはプレイ前から知っていましたが、その他プレイ後にEDとして流れるボーカルソングも良い曲ばかりです。個人的には終ノ空エンドで流れる「呪われた生/祝福された生」の不安定で安心できない感じとか特に。
絵とか
今の自分の感覚からすると少し古臭い感じもしますが(ファンに怒られそう)基本的には満足でした。羽咲ちゃんの絵とかめちゃくちゃ可愛いし、間宮卓司の絵とか最高に不安定になるし、こういうのも含めて作品の味になっていると思います。実際狂気的な作品ではあるので、美麗すぎる萌え絵だったらそれはそれで考え物ですし。
エロシーンについて
和姦から凌辱からレズからホモから女装から…なんて混沌とした作品なんだってのはプレイ中何度も感じましたが、そのすべてがなんだかんだで作品のテーマに繋がっていくってのは流石だと思います。流石に薬物とかあのあたりはやばさしか感じないので実用性的にはあまり高く感じませんでしたが、代わりにレズプレイが思わぬ収穫でした。(プレイするジャンルの傾向上)意外とレズの18禁シーンに出会うことが少ないのもありますが。
総評
基本的に面白くなってくるまでが遅い、難しい言い回しが多い、理解に及ばない部分が多いなど、「人を選ぶ」という言葉がふさわしい作品ではありますが、反面、伏線回収は非常に理解しやすいですし、後半になるにつれてシナリオに良さを感じやすくなる、いわば「大筋の理解が容易な考察ゲー」として、この手の作品のあるべき姿は取っています。サクラノ詩もこの調子ならやってみたくなると思う程度には名作でしたが、雰囲気の良さとか感情移入とかを求める自分からしたら、神格化出来るほど好きにはなれなかったという感想もあります。いやまあ、面白かったですけど(2回目)。
以下ネタバレ雑記↓
今作のテーマについて
最初に言っておきますと、自分はヴィトゲンシュタインの論理哲学論考を読んでいるわけではなくて、この作品をプレイして思ったことを勝手にテーマとして書いているだけなので、そのあたりはご了承ください。
さて、この作品のテーマが一番良く分かるのは、「素晴らしき日々END」だと思います。具体的には、「世界の限界=自分の限界」という考え方、この考え方自体は1章から出てきましたが、実際にどのような意味か理解するには至りませんでした。このエンドを見て、改めて今までの章を振り返って、初めて理解できます。
「幸福に生きよ」とは何か。世界の限界=自分の限界と考えるならば、それは自分らしく生きることに他なりません。ただ、ここで言う自分らしさとは、「たとえ世界がどうであっても、自分の思う幸福を貫き通せ」という意味ではありません。そもそも世界の限界は自分の限界である以上、「たとえ世界がどうであっても~」の考え方は、自分=世界という前提に矛盾してしまいます。自分=世界という考え方、この場合は世界の限界とか、外側がどこであるとか、そんなことを考える必要はありません。外側も内側も、すべて含めて自分という世界であり、自分の世界は自分固有のものである。確かにその世界の中に他人は存在するが、他人の世界≠自分の世界なので、それはまた別の話になる。
このあたりは文章にするのが本当に難しいのですが、つまりは、「世界=自分であり、他の世界のことを考える必要はない。自分だけの世界で、比較されることなく、自分の思う精一杯に幸福に生きることが、人生の一番の幸せである。」と、自分の解釈はこういうことです。世界の限界は自分の限界である以上、そこに優劣を測るものさしはありません。ある事柄があったとして、それを幸福だと思えば幸福になるし、不幸だと思えば不幸になる。自分の感情がそのまま世界になるわけです。だから、精一杯幸福に生きることが、幸せな人生を生きるということになるのです。まあ、かなり陳腐なものですけど。
(ちなみにこれを書くにあたってヴィトゲンシュタインについて少し調べたのですが、「幸福に生きよ」というこれ以上のことは、本人も語り得ないと言っているそうです。勿論自分にも良く分からないです。難しい…)
2章と3章について
先程の「幸福に生きよ」の話を踏まえると、初見では良く分からなかった前半部分の謎も見えてきます。
理解できない考え方、行動、そのすべてが他人の世界における話であり、そうならばますます理解の及ばない話になります。ヴィトゲンシュタインの言葉を借りるならば、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない。」 実際にこの2つの章については沈黙することも1つの答えだと思いますし、感情移入して2人の心の内を探ろうとしても、それは本人と同化できるわけではないので、完全ではありません。
この話について、自分は2章と3章を取り上げましたが、1章、場合によっては4章についても、同じことが言えると思います。1章もしくは4章についても、結局は他人の世界の物語であり、自分の世界とは異なった価値観である。実際この作品はヴィトゲンシュタインの言葉を多く取り扱っていますし、語り得ないこと、認識し得ないこと、つまりは自分の世界の外側の事象について、無理に理解する必要はありません。そういうことから考えても、すかぢ氏的には、この作品の全てを理解しろなんてことはプレイヤーに求めてはいないはずです。もしかしたら、「色々な価値観を持った人間の行動を見て、理解できないということを知る」というのもまた、この作品の趣旨になっているのかもしれません。
2章については、間宮卓司の行動について、常人の理解できるものではありません。前半部分はただのか弱いオタク少年ですが、特に後半に至っては全く理解できない。
ただ忘れてはいけないのは、この章は最高のエンターテインメントだということです。終ノ空に至るまでの過程が一番よく見えてくるのはこの章であり、首謀者(救世主様)の動機もはっきりしてくる。そして今作最大のバッドエンドである。初見ではちんぷんかんぷんでしたし、早く終われとか思っていましたが、皆守の守りたいものが見えた後、そして全てを知った後だと、この章はなくてはならないものだったということが分かります。
ついでに、個人的にプレイ後に2章を振り返って面白かったのは、皆守の行動でしょうか。初見プレイでは真宮卓司の絶対的な敵として最後まで君臨し続ける彼ですが、振り返ってみればたちまち間宮卓司が悪人に見えてしまう。でも間宮卓司には彼の世界があるのであり、それを否定することは出来ないので、あくまでも2章は、間宮卓司の独壇場なわけですが。
3章については、「高島ざくろは本当に幸せだったのか」という問いが降りかかってくるわけですが、これについては自分が完全に語り尽くすことは出来ません。自殺した高島ざくろが不幸だったと言い切ることは出来ないし、不幸だとか不憫だという意見は、それこそただの外側からの同情です。ただ、あえて高島ざくろの世界の外側から彼女について語るなら、「高島ざくろは自分の思う幸福を生きた」とは思います。ただ、表面上は全く幸福には見えないので、そこで、プロローグ及び希実香√などの高島ざくろの救済があります。
ある意味希実香√2は、true endの一部にカウントすることもできる終わり方です。ここでの間宮卓司は真の救世主であり、更に間宮卓司が黒の救世主として動き出すこともない。そして高島ざくろは幸せになる。表面上はこれ以上の終わり方はないとも言えるほどです(実際このエンドを見た時、4章以降を見ていなかったので、これで終わりでもいいやとか思ってました)。
また、3章の分岐からも分かるように、高島ざくろが死ななければ間宮卓司は救世主として真に動き出すことはありません。シナリオ的にはいわば歯車の一部なのですが、本人からすればそんな自覚は全くないに等しい。彼女は彼女なりに彼女の世界で生きて、イジメ、薬物、レイプなどの先に、救いを見出す。それが仮に今後間宮卓司を動かすとして、彼女と間宮卓司が繋がっていたわけではありません。要するに、高島ざくろはシナリオの駒ではありません。
終ノ空エンドについて
ここまでの全ての物語を見てきたうえで、最後の解放されるこのエンド。
ここでの主人公は水上由岐です。実際に本文中でもどうしてこのタイミングで水上由岐が出てきたか問われている場面がありましたが、それについて答えるとしたら、「この場面で出てくるとしたら、全てのキャラクターの中で水上由岐が一番相応しい」からです。思い返せば、プロローグは水上由岐の視点から始まっているこの作品、水上由岐に始まり水上由岐に終わる。要するに、ここでの水上由岐は、プレイヤーそのものに近いです。水上由岐として素晴らしき日々の物語を読み始めたプレイヤーが、最後には水上由岐として終ノ空を超えて物語を終える。
ただ、整合性やらなんやらを考えるなら、また別の答えが出てくるかもしれないです。いやむしろ、いくらでも答えは出てくるべきです。音無彩名が大量の仮定を水上由岐に投げるように、終ノ空エンドにおける水上由岐の存在に正解はありません。あの状況でも、全ての仮定が正解になり得たように、あらゆる仮定が正解になり得ます。
音無彩名は何者なのか、何のためにやってきたのか、という問いについては、自分も良く分かりません。普通の人間ではない、それこそ少なくとも同じ世界線に住んでいる人間とは違う。音無彩名は全てを知っていて、そのくせただの個人である。音無彩名は全であり一である、という表現はしっくりくるような気もしますが、説明してくださいと言われると何も言えなくなります。このあたりは2週とかすれば答えが見えてくるのかもしれませんが、それはまた気が向いたらやろうかなと思います。
最初に言っておきますと、自分はヴィトゲンシュタインの論理哲学論考を読んでいるわけではなくて、この作品をプレイして思ったことを勝手にテーマとして書いているだけなので、そのあたりはご了承ください。
さて、この作品のテーマが一番良く分かるのは、「素晴らしき日々END」だと思います。具体的には、「世界の限界=自分の限界」という考え方、この考え方自体は1章から出てきましたが、実際にどのような意味か理解するには至りませんでした。このエンドを見て、改めて今までの章を振り返って、初めて理解できます。
「幸福に生きよ」とは何か。世界の限界=自分の限界と考えるならば、それは自分らしく生きることに他なりません。ただ、ここで言う自分らしさとは、「たとえ世界がどうであっても、自分の思う幸福を貫き通せ」という意味ではありません。そもそも世界の限界は自分の限界である以上、「たとえ世界がどうであっても~」の考え方は、自分=世界という前提に矛盾してしまいます。自分=世界という考え方、この場合は世界の限界とか、外側がどこであるとか、そんなことを考える必要はありません。外側も内側も、すべて含めて自分という世界であり、自分の世界は自分固有のものである。確かにその世界の中に他人は存在するが、他人の世界≠自分の世界なので、それはまた別の話になる。
このあたりは文章にするのが本当に難しいのですが、つまりは、「世界=自分であり、他の世界のことを考える必要はない。自分だけの世界で、比較されることなく、自分の思う精一杯に幸福に生きることが、人生の一番の幸せである。」と、自分の解釈はこういうことです。世界の限界は自分の限界である以上、そこに優劣を測るものさしはありません。ある事柄があったとして、それを幸福だと思えば幸福になるし、不幸だと思えば不幸になる。自分の感情がそのまま世界になるわけです。だから、精一杯幸福に生きることが、幸せな人生を生きるということになるのです。まあ、かなり陳腐なものですけど。
(ちなみにこれを書くにあたってヴィトゲンシュタインについて少し調べたのですが、「幸福に生きよ」というこれ以上のことは、本人も語り得ないと言っているそうです。勿論自分にも良く分からないです。難しい…)
2章と3章について
先程の「幸福に生きよ」の話を踏まえると、初見では良く分からなかった前半部分の謎も見えてきます。
理解できない考え方、行動、そのすべてが他人の世界における話であり、そうならばますます理解の及ばない話になります。ヴィトゲンシュタインの言葉を借りるならば、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない。」 実際にこの2つの章については沈黙することも1つの答えだと思いますし、感情移入して2人の心の内を探ろうとしても、それは本人と同化できるわけではないので、完全ではありません。
この話について、自分は2章と3章を取り上げましたが、1章、場合によっては4章についても、同じことが言えると思います。1章もしくは4章についても、結局は他人の世界の物語であり、自分の世界とは異なった価値観である。実際この作品はヴィトゲンシュタインの言葉を多く取り扱っていますし、語り得ないこと、認識し得ないこと、つまりは自分の世界の外側の事象について、無理に理解する必要はありません。そういうことから考えても、すかぢ氏的には、この作品の全てを理解しろなんてことはプレイヤーに求めてはいないはずです。もしかしたら、「色々な価値観を持った人間の行動を見て、理解できないということを知る」というのもまた、この作品の趣旨になっているのかもしれません。
2章については、間宮卓司の行動について、常人の理解できるものではありません。前半部分はただのか弱いオタク少年ですが、特に後半に至っては全く理解できない。
ただ忘れてはいけないのは、この章は最高のエンターテインメントだということです。終ノ空に至るまでの過程が一番よく見えてくるのはこの章であり、首謀者(救世主様)の動機もはっきりしてくる。そして今作最大のバッドエンドである。初見ではちんぷんかんぷんでしたし、早く終われとか思っていましたが、皆守の守りたいものが見えた後、そして全てを知った後だと、この章はなくてはならないものだったということが分かります。
ついでに、個人的にプレイ後に2章を振り返って面白かったのは、皆守の行動でしょうか。初見プレイでは真宮卓司の絶対的な敵として最後まで君臨し続ける彼ですが、振り返ってみればたちまち間宮卓司が悪人に見えてしまう。でも間宮卓司には彼の世界があるのであり、それを否定することは出来ないので、あくまでも2章は、間宮卓司の独壇場なわけですが。
3章については、「高島ざくろは本当に幸せだったのか」という問いが降りかかってくるわけですが、これについては自分が完全に語り尽くすことは出来ません。自殺した高島ざくろが不幸だったと言い切ることは出来ないし、不幸だとか不憫だという意見は、それこそただの外側からの同情です。ただ、あえて高島ざくろの世界の外側から彼女について語るなら、「高島ざくろは自分の思う幸福を生きた」とは思います。ただ、表面上は全く幸福には見えないので、そこで、プロローグ及び希実香√などの高島ざくろの救済があります。
ある意味希実香√2は、true endの一部にカウントすることもできる終わり方です。ここでの間宮卓司は真の救世主であり、更に間宮卓司が黒の救世主として動き出すこともない。そして高島ざくろは幸せになる。表面上はこれ以上の終わり方はないとも言えるほどです(実際このエンドを見た時、4章以降を見ていなかったので、これで終わりでもいいやとか思ってました)。
また、3章の分岐からも分かるように、高島ざくろが死ななければ間宮卓司は救世主として真に動き出すことはありません。シナリオ的にはいわば歯車の一部なのですが、本人からすればそんな自覚は全くないに等しい。彼女は彼女なりに彼女の世界で生きて、イジメ、薬物、レイプなどの先に、救いを見出す。それが仮に今後間宮卓司を動かすとして、彼女と間宮卓司が繋がっていたわけではありません。要するに、高島ざくろはシナリオの駒ではありません。
終ノ空エンドについて
ここまでの全ての物語を見てきたうえで、最後の解放されるこのエンド。
ここでの主人公は水上由岐です。実際に本文中でもどうしてこのタイミングで水上由岐が出てきたか問われている場面がありましたが、それについて答えるとしたら、「この場面で出てくるとしたら、全てのキャラクターの中で水上由岐が一番相応しい」からです。思い返せば、プロローグは水上由岐の視点から始まっているこの作品、水上由岐に始まり水上由岐に終わる。要するに、ここでの水上由岐は、プレイヤーそのものに近いです。水上由岐として素晴らしき日々の物語を読み始めたプレイヤーが、最後には水上由岐として終ノ空を超えて物語を終える。
ただ、整合性やらなんやらを考えるなら、また別の答えが出てくるかもしれないです。いやむしろ、いくらでも答えは出てくるべきです。音無彩名が大量の仮定を水上由岐に投げるように、終ノ空エンドにおける水上由岐の存在に正解はありません。あの状況でも、全ての仮定が正解になり得たように、あらゆる仮定が正解になり得ます。
音無彩名は何者なのか、何のためにやってきたのか、という問いについては、自分も良く分かりません。普通の人間ではない、それこそ少なくとも同じ世界線に住んでいる人間とは違う。音無彩名は全てを知っていて、そのくせただの個人である。音無彩名は全であり一である、という表現はしっくりくるような気もしますが、説明してくださいと言われると何も言えなくなります。このあたりは2週とかすれば答えが見えてくるのかもしれませんが、それはまた気が向いたらやろうかなと思います。