恋×シンアイ彼女 掘り下げネタ④
- 2017/12/13
- 22:10
久しぶりに恋×シンアイ彼女の話です。前回書いたのが2016年の7月みたいなので、実に1年以上は経過していることになるんですが、その間再プレイをたくさんしていたかと言われると大変微妙です。というか殆どやっていないまである。そのくせして頭の片隅に延々と居座り続けるんですからなんとも不思議な作品ですね。ちなみに初回プレイから考えるともう2年以上も経っています。自分の中では全然最近の作品です。
なにかひとつ軸になる作品があると、それを中心に良し悪しを判断したり比較材料に使ったりできるので何かと便利です。あとは新しく得た解釈を他の作品に当てはめてみたり、またはその軸となる作品に当てはめてみたり。作品によっては個別ルートがあるからこそできる楽しみ方でもあるので、自分にとってはある意味ノベルゲーム固有の感覚と言えそうです。
話が逸れましたが、今回は星奏さんが良く言っている星の音という概念について軽く掘り下げたいと思います。と言っても再プレイしてたわけじゃないし昨日今日で思いついたような妄想なので、メモ書き程度に。
「星の音」が聞こえるタイミングを考える
星奏さんが星の音を聞くタイミングは複数あるのですが、決まって言えることは近くに洸太郎が存在している状況であるということ。これは精神的に近くにいるという意味ではなく、直接会って話すなり、姿を見るなり、とにかく近くにいなければならない。結局のところは星奏さんが洸太郎の肉体的なものを求めているということなんですかね。このあたりは本人に聞いてみないことには分からんので大変難しい問題なのですが、要は洸太郎と会うことで彼女の中の何か大切な部分が刺激されると言うことなのでしょう。
じゃあ星の音とは何かという問題なのですが、これは創作におけるインスピレーションのようなものだと思います。似て非なるものですが創作意欲と置き換えてもいいかもしれません。幼少期の回想を見ていればよく分かるように、星奏にとっては洸太郎は創作を共にする仲間と言う意味でも非常に大切な存在ですから、恋愛感情的な意味で(というか一途さのようなもの?)また熱意や才能を取り戻して曲を作れるようになる、というのも勿論ありますが、小説を書き続けている存在である洸太郎を間近で見ることによって、自分のモチベーションが刺激されるという部分も少なからずあるような気がします。
自分のモチベーションやひらめきのために洸太郎に会いに行き、得るものを得られたら去っていくという行動だけを見てみると、本当に自分勝手な印象がありますが、洸太郎はそれをほぼ受け入れてしまっているので、外野がどうこう言わなくても本人たちは納得しているからそれでいいみたいな考えがあります。この作品に関してはもっと語るべき部分が沢山あるし、そっちを優先したいだけなのかもしれませんが。
終盤、彼女は星の音が全く聞こえなくなったのか?
洸太郎のもとを去った後どうなったのかという問題です。それまでは会うたびにある程度の才能を取り戻し、コンスタントに作曲に打ち込んでいたみたいですが、最後の別れの時以来(洸太郎にとっては)良い曲を作れなくなってしまう。また機会があったらこの話もしたいのですが、音楽にしろ演技にしろ、誰かに見せるもの(聞かせるもの)というのはちゃんと誰に聞かせたいか、という目標意識が大切だと思うので、今まで洸太郎のことを少なからず追いかけてきた星奏さんが洸太郎にすら刺さらない音楽しか書けなくなってしまったというのは、正直大問題です。
かといって、ラストシーンで洸太郎の書いた最後の小説が星奏さんに届いたかどうかは全く分かりません。ただ最後に関してはかなり肯定的な印象を受けるので、少なくとも星奏さんよりかは人に届く文章を書けているのかなと思います。星奏の言う「星の音」というものを洸太郎に当てはめてみると、彼女への想いを離れている状態でもしっかりと昇華して、自分の納得のいく小説にすることができたということです。
これと対比する形で書くと、星奏さんの方はこの星の音というものを生かし切れていません。この間ふと思いついた「星奏は実は洸太郎と同じような人生を裏で送っていて、星奏視点で見ると非常にシンクロしている可能性がある」という謎の解釈を除外すると、どちらかというと対比的な終末であったかのように思います。洸太郎にとって刺さらない音楽ならば、当然自分にも納得がいってない。今までは洸太郎に会うことで星の音を取り戻してきましたが、それを完全に断つと宣言した後には、彼女はただの借金を抱えた凡人に成り下がってしまったと考えることもできます。
そもそも才能があったのかどうかすらよく分かりません。洸太郎がいたから才能が芽生えたのかもしれない。まあ外生的な事情があっても才能は本人のものであるはずなんですが、作中の描写を見ていると彼女に関しては本当に洸太郎に依存した才能であったようにも思えます。しかしこれは洸太郎も同じことで、星奏を追いかけているからこそ小説が良い形になっていきます。
洸太郎が星の音を聞くために利用されていた、と書くと聞こえは悪いですが、洸太郎自身も星奏のことを小説の題材に利用していたも同然なので、この辺りは相互に補い合っている印象ですね。最終的にそれをどう利用したか、という問題に行きついて、洸太郎はそれを自分の人生に納得のいく形で上手く利用できたけれども、星奏の方は会うことに重きを置いていたがためにそれができなかった、と考えるのが自然でしょう。こう考えると、似た者同士の2人でありながら、最終的には全然一緒ではなかったという新たな視点も生まれてきます。まあ男女の根本的な考え方の違いがあるかもしれないし、当たり前のことなのかもしれませんが。
こういうところの微妙な違いをもっと掘り下げていきたいのですが、この辺りはまた再プレイした時にでも考えてみたいと思います。流石に1年以上経過してるし考え方も少しは変わってるかもしれないし。プレイするたびに視点が変わり新たな発見が生まれる作品というのは本当に面白いですね。
なにかひとつ軸になる作品があると、それを中心に良し悪しを判断したり比較材料に使ったりできるので何かと便利です。あとは新しく得た解釈を他の作品に当てはめてみたり、またはその軸となる作品に当てはめてみたり。作品によっては個別ルートがあるからこそできる楽しみ方でもあるので、自分にとってはある意味ノベルゲーム固有の感覚と言えそうです。
話が逸れましたが、今回は星奏さんが良く言っている星の音という概念について軽く掘り下げたいと思います。と言っても再プレイしてたわけじゃないし昨日今日で思いついたような妄想なので、メモ書き程度に。
「星の音」が聞こえるタイミングを考える
星奏さんが星の音を聞くタイミングは複数あるのですが、決まって言えることは近くに洸太郎が存在している状況であるということ。これは精神的に近くにいるという意味ではなく、直接会って話すなり、姿を見るなり、とにかく近くにいなければならない。結局のところは星奏さんが洸太郎の肉体的なものを求めているということなんですかね。このあたりは本人に聞いてみないことには分からんので大変難しい問題なのですが、要は洸太郎と会うことで彼女の中の何か大切な部分が刺激されると言うことなのでしょう。
じゃあ星の音とは何かという問題なのですが、これは創作におけるインスピレーションのようなものだと思います。似て非なるものですが創作意欲と置き換えてもいいかもしれません。幼少期の回想を見ていればよく分かるように、星奏にとっては洸太郎は創作を共にする仲間と言う意味でも非常に大切な存在ですから、恋愛感情的な意味で(というか一途さのようなもの?)また熱意や才能を取り戻して曲を作れるようになる、というのも勿論ありますが、小説を書き続けている存在である洸太郎を間近で見ることによって、自分のモチベーションが刺激されるという部分も少なからずあるような気がします。
自分のモチベーションやひらめきのために洸太郎に会いに行き、得るものを得られたら去っていくという行動だけを見てみると、本当に自分勝手な印象がありますが、洸太郎はそれをほぼ受け入れてしまっているので、外野がどうこう言わなくても本人たちは納得しているからそれでいいみたいな考えがあります。この作品に関してはもっと語るべき部分が沢山あるし、そっちを優先したいだけなのかもしれませんが。
終盤、彼女は星の音が全く聞こえなくなったのか?
洸太郎のもとを去った後どうなったのかという問題です。それまでは会うたびにある程度の才能を取り戻し、コンスタントに作曲に打ち込んでいたみたいですが、最後の別れの時以来(洸太郎にとっては)良い曲を作れなくなってしまう。また機会があったらこの話もしたいのですが、音楽にしろ演技にしろ、誰かに見せるもの(聞かせるもの)というのはちゃんと誰に聞かせたいか、という目標意識が大切だと思うので、今まで洸太郎のことを少なからず追いかけてきた星奏さんが洸太郎にすら刺さらない音楽しか書けなくなってしまったというのは、正直大問題です。
かといって、ラストシーンで洸太郎の書いた最後の小説が星奏さんに届いたかどうかは全く分かりません。ただ最後に関してはかなり肯定的な印象を受けるので、少なくとも星奏さんよりかは人に届く文章を書けているのかなと思います。星奏の言う「星の音」というものを洸太郎に当てはめてみると、彼女への想いを離れている状態でもしっかりと昇華して、自分の納得のいく小説にすることができたということです。
これと対比する形で書くと、星奏さんの方はこの星の音というものを生かし切れていません。この間ふと思いついた「星奏は実は洸太郎と同じような人生を裏で送っていて、星奏視点で見ると非常にシンクロしている可能性がある」という謎の解釈を除外すると、どちらかというと対比的な終末であったかのように思います。洸太郎にとって刺さらない音楽ならば、当然自分にも納得がいってない。今までは洸太郎に会うことで星の音を取り戻してきましたが、それを完全に断つと宣言した後には、彼女はただの借金を抱えた凡人に成り下がってしまったと考えることもできます。
そもそも才能があったのかどうかすらよく分かりません。洸太郎がいたから才能が芽生えたのかもしれない。まあ外生的な事情があっても才能は本人のものであるはずなんですが、作中の描写を見ていると彼女に関しては本当に洸太郎に依存した才能であったようにも思えます。しかしこれは洸太郎も同じことで、星奏を追いかけているからこそ小説が良い形になっていきます。
洸太郎が星の音を聞くために利用されていた、と書くと聞こえは悪いですが、洸太郎自身も星奏のことを小説の題材に利用していたも同然なので、この辺りは相互に補い合っている印象ですね。最終的にそれをどう利用したか、という問題に行きついて、洸太郎はそれを自分の人生に納得のいく形で上手く利用できたけれども、星奏の方は会うことに重きを置いていたがためにそれができなかった、と考えるのが自然でしょう。こう考えると、似た者同士の2人でありながら、最終的には全然一緒ではなかったという新たな視点も生まれてきます。まあ男女の根本的な考え方の違いがあるかもしれないし、当たり前のことなのかもしれませんが。
こういうところの微妙な違いをもっと掘り下げていきたいのですが、この辺りはまた再プレイした時にでも考えてみたいと思います。流石に1年以上経過してるし考え方も少しは変わってるかもしれないし。プレイするたびに視点が変わり新たな発見が生まれる作品というのは本当に面白いですね。