気ままに聖地巡礼 -赤穂編①-
- 2015/07/04
- 22:56
割とまとまった時間?が出来たので、今回は念願の赤穂に行ってきました。と言っても、実際に行ってみれば、赤穂がとりわけ遠いわけでもなく(遠いと言えば遠いのですが)、関西圏からなら日帰りで十分行ける距離だという印象は受けました。具体的には京都からだと2時間以上3時間弱と言ったところでしょうか、3時間はかかっていないと思います。
JR播州赤穂駅
電車に揺られながら赤穂までとろとろと向かっていたわけですが、姫路あたりから本当に人が少なくなりました。実際、そのあたりから周りの風景も変わってきて、良くも悪くも田舎という印象を受けます。実際、赤穂までの路線なんか単線ですし、ドアも自動じゃなくて自分でボタン押して開けるシステムですし。
そういうわけで赤穂について最初に驚いたのがこれ。特に岡山方面、本当に本数が少ないんですよね。なんというか、こういう時刻表見られるのってある意味田舎の風情というか、都会ではありえないというか。車両の中身自体はそこそこ綺麗ですし、電線もちゃんと通っていますし、赤穂市がそこまで田舎ってわけでもないのですけどね。
播州赤穂駅中
こちらは播州赤穂駅の改札を出てすぐのところにあります。というか、改札出たらまずこれが目に入ると思いますw これだけ見るとかなり綺麗な場所ですし、観光地としてそれなりに充実している感じはしますね。
播州赤穂駅中 階段
改札を出て右に曲がり、突き当りまで行くとこの階段があります。階段も2つあって、両方とも忠臣蔵の義士の絵が貼ってある形になっています。本編だとそれなりに広い階段のように見えるのですが、体感は結構狭かったかな… いかんせん人がいないので問題はないのですが、こういう本編との微妙な違いというか、「横に引き延ばしたものを現実で見るとどうなるか」というのを確認するのもまた、聖地巡礼の楽しみになりますね。
播州赤穂駅 外観
階段を降りて駅から出てすぐのところです。タクシーが多いのは本編も現実も変わりません。こういう場所だとバスが多いイメージもあるかもしれませんが、バス自体はそれぞれの方面1時間に2本程度で、そこまで多いわけではありません。実際、赤穂城までは歩いても十分行ける距離ですし(自分は歩いて行きました)、そこまでバスの需要がないのかもしれません。
ちなみに、また次回の記事になるかとは思いますが、赤穂御崎に行ったときにはバスを利用しました。と言っても、客が一番多い時で4人しかおらず、バス使う人殆どいないんだなあというのを切実に感じましたね… 観光地なのでそこまで人がいないわけではないと思うのですが、実際どうなんでしょうか。
義士あんどん
ちょうど赤穂城と播州赤穂駅の真ん中あたりにあると思います。ここだけスペースが設けられているので、特別分かりにくいというわけでもありません。駅を出て一番大きい通りを行けば、自然にたどり着ける、みたいな。時間も良かったので、近くのベンチに座りながら0分になるのを待ってましたw
おそらく毎時0分になると真ん中の扉が開いて、忠臣蔵のミニストーリーが始まります。最初は刃傷事件のところから始まって、最後は仇討ちまで、忠臣蔵について簡潔に説明してくれる形になっています。近くに親子2人がいたので、一緒に眺めてましたが、これ、意外と尺があるんですよね。確か5分弱だったかな。
開くのは真ん中だけだと思っていたら、更なる進化を残していたってやつですかね。まさか時計の部分が上がって上が開くとは思いませんでした。ただの時計と言ってはアレなんですが、どこまで凝ってるんですかね…割と感心してました。
息継ぎ井戸
義士あんどんの後ろ側にある息継ぎ井戸です。本編ではダイジェスト程度では出てきませんが、早籠の萱野さんと早水さんが刃傷事件の第一報を知らせに赤穂まで走った後、この井戸の水を飲んで一息ついただとか。ちなみに、流石に井戸の水は飲めないです。
花岳寺
息継ぎ井戸の先にあるのですが、割とマイナーな場所なのか、あんまり人がいない印象は受けました。ただ、相応のものは寺内にありますし、赤穂に行ったらここに行くだけの価値はあると思います。
外観
とりわけ話すこともないのですが、強いて言うとしたら、結構分かりにくい場所に入口があるってことですかね。息継ぎ井戸の先にあるのは間違いなのですが、そこそこ探したような気がします。と言っても、お寺の周りをくるくるしてれば、そのうち見つかりますが。
赤穂浪士+浅野内匠頭の墓
浅野内匠頭の墓を中心として、周りに赤穂浪士の墓が並んでいるという形…なのかな(確証が持てない) 周りが赤穂浪士の墓だという事実は、自分は言われて初めて気づきました。実際、写真を引いて撮らないと気づかない部分もありますし。ちなみにこちら、拝観料400円が必要で(学生は半額の模様)、同時に他の墓や、資料館などを見ることができます。参拝客もそこそこいましたが、それ以上に墓参りの方がいたという印象でした。
忠義塚
先程の赤穂浪士の墓の手前にあります。なんでも、赤穂七不思議というものがあって、「亀の首が容易に動くくせに、決して抜けない」だとか。実際、この忠義塚にどのような意味や思いが込められているのかは自分には分かりかねるのですが、実際に見ると、非常に印象に残るものでもあります。
鳴らずの梵鐘
こちらも個人的に非常に印象に残ったのでカメラでパシャリ。ちなみに、どうして鳴らずの梵鐘なのか、自分でも分かりかねたので赤穂観光協会の文章を引用しますと(こちらも七不思議のひとつらしいです)、
この鐘は、赤穂浅野家二代の藩主で、長矩公の父に当たる長友公が、その父長直公(初代)の菩提の為に奉納されたものである。
言い伝えによると元禄16年(1703年)2月4日赤穂浪士四十六士が江戸で切腹したという報が赤穂に届いた時、町民が非常に悲しみ花岳寺に集まり、この鐘を撞いてつきまくって以来、この鐘が音韻を失い鳴らずの鐘になったという。
寛政年間(1789年~1801年)に改鋳しているので、鳴らずの鐘は今は鳴っているから不思議だという。
赤穂観光協会 赤穂七不思議より
実は写真右下の説明文よく読めばちゃんと書いてあった感じがしなくもないですが、非常に横着でしたね…
記事が非常に長くなりそうなので、分割させて頂きます。次回は、赤穂城とその周辺について書きたいと思いますが、もしかしたら御崎のことなども書くかもしれません。
この記事では、インレ様「ChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1-」及び「ChuSingura46+1 -忠臣蔵46+1- 武士の鼓動 (A samurai's beat)」の本編の一部の背景を使用しております。
次 赤穂編②
JR播州赤穂駅
電車に揺られながら赤穂までとろとろと向かっていたわけですが、姫路あたりから本当に人が少なくなりました。実際、そのあたりから周りの風景も変わってきて、良くも悪くも田舎という印象を受けます。実際、赤穂までの路線なんか単線ですし、ドアも自動じゃなくて自分でボタン押して開けるシステムですし。
そういうわけで赤穂について最初に驚いたのがこれ。特に岡山方面、本当に本数が少ないんですよね。なんというか、こういう時刻表見られるのってある意味田舎の風情というか、都会ではありえないというか。車両の中身自体はそこそこ綺麗ですし、電線もちゃんと通っていますし、赤穂市がそこまで田舎ってわけでもないのですけどね。
播州赤穂駅中
こちらは播州赤穂駅の改札を出てすぐのところにあります。というか、改札出たらまずこれが目に入ると思いますw これだけ見るとかなり綺麗な場所ですし、観光地としてそれなりに充実している感じはしますね。
播州赤穂駅中 階段
改札を出て右に曲がり、突き当りまで行くとこの階段があります。階段も2つあって、両方とも忠臣蔵の義士の絵が貼ってある形になっています。本編だとそれなりに広い階段のように見えるのですが、体感は結構狭かったかな… いかんせん人がいないので問題はないのですが、こういう本編との微妙な違いというか、「横に引き延ばしたものを現実で見るとどうなるか」というのを確認するのもまた、聖地巡礼の楽しみになりますね。
播州赤穂駅 外観
階段を降りて駅から出てすぐのところです。タクシーが多いのは本編も現実も変わりません。こういう場所だとバスが多いイメージもあるかもしれませんが、バス自体はそれぞれの方面1時間に2本程度で、そこまで多いわけではありません。実際、赤穂城までは歩いても十分行ける距離ですし(自分は歩いて行きました)、そこまでバスの需要がないのかもしれません。
ちなみに、また次回の記事になるかとは思いますが、赤穂御崎に行ったときにはバスを利用しました。と言っても、客が一番多い時で4人しかおらず、バス使う人殆どいないんだなあというのを切実に感じましたね… 観光地なのでそこまで人がいないわけではないと思うのですが、実際どうなんでしょうか。
義士あんどん
ちょうど赤穂城と播州赤穂駅の真ん中あたりにあると思います。ここだけスペースが設けられているので、特別分かりにくいというわけでもありません。駅を出て一番大きい通りを行けば、自然にたどり着ける、みたいな。時間も良かったので、近くのベンチに座りながら0分になるのを待ってましたw
おそらく毎時0分になると真ん中の扉が開いて、忠臣蔵のミニストーリーが始まります。最初は刃傷事件のところから始まって、最後は仇討ちまで、忠臣蔵について簡潔に説明してくれる形になっています。近くに親子2人がいたので、一緒に眺めてましたが、これ、意外と尺があるんですよね。確か5分弱だったかな。
開くのは真ん中だけだと思っていたら、更なる進化を残していたってやつですかね。まさか時計の部分が上がって上が開くとは思いませんでした。ただの時計と言ってはアレなんですが、どこまで凝ってるんですかね…割と感心してました。
息継ぎ井戸
義士あんどんの後ろ側にある息継ぎ井戸です。本編ではダイジェスト程度では出てきませんが、早籠の萱野さんと早水さんが刃傷事件の第一報を知らせに赤穂まで走った後、この井戸の水を飲んで一息ついただとか。ちなみに、流石に井戸の水は飲めないです。
花岳寺
息継ぎ井戸の先にあるのですが、割とマイナーな場所なのか、あんまり人がいない印象は受けました。ただ、相応のものは寺内にありますし、赤穂に行ったらここに行くだけの価値はあると思います。
外観
とりわけ話すこともないのですが、強いて言うとしたら、結構分かりにくい場所に入口があるってことですかね。息継ぎ井戸の先にあるのは間違いなのですが、そこそこ探したような気がします。と言っても、お寺の周りをくるくるしてれば、そのうち見つかりますが。
赤穂浪士+浅野内匠頭の墓
浅野内匠頭の墓を中心として、周りに赤穂浪士の墓が並んでいるという形…なのかな(確証が持てない) 周りが赤穂浪士の墓だという事実は、自分は言われて初めて気づきました。実際、写真を引いて撮らないと気づかない部分もありますし。ちなみにこちら、拝観料400円が必要で(学生は半額の模様)、同時に他の墓や、資料館などを見ることができます。参拝客もそこそこいましたが、それ以上に墓参りの方がいたという印象でした。
忠義塚
先程の赤穂浪士の墓の手前にあります。なんでも、赤穂七不思議というものがあって、「亀の首が容易に動くくせに、決して抜けない」だとか。実際、この忠義塚にどのような意味や思いが込められているのかは自分には分かりかねるのですが、実際に見ると、非常に印象に残るものでもあります。
鳴らずの梵鐘
こちらも個人的に非常に印象に残ったのでカメラでパシャリ。ちなみに、どうして鳴らずの梵鐘なのか、自分でも分かりかねたので赤穂観光協会の文章を引用しますと(こちらも七不思議のひとつらしいです)、
この鐘は、赤穂浅野家二代の藩主で、長矩公の父に当たる長友公が、その父長直公(初代)の菩提の為に奉納されたものである。
言い伝えによると元禄16年(1703年)2月4日赤穂浪士四十六士が江戸で切腹したという報が赤穂に届いた時、町民が非常に悲しみ花岳寺に集まり、この鐘を撞いてつきまくって以来、この鐘が音韻を失い鳴らずの鐘になったという。
寛政年間(1789年~1801年)に改鋳しているので、鳴らずの鐘は今は鳴っているから不思議だという。
赤穂観光協会 赤穂七不思議より
実は写真右下の説明文よく読めばちゃんと書いてあった感じがしなくもないですが、非常に横着でしたね…
記事が非常に長くなりそうなので、分割させて頂きます。次回は、赤穂城とその周辺について書きたいと思いますが、もしかしたら御崎のことなども書くかもしれません。
この記事では、インレ様「ChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1-」及び「ChuSingura46+1 -忠臣蔵46+1- 武士の鼓動 (A samurai's beat)」の本編の一部の背景を使用しております。
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