気ままに聖地巡礼 -赤穂編②-
- 2015/07/06
- 21:35
前回の記事、赤穂編①の続きになります。そのまま続けて書いていきます。
赤穂城周辺
郵便ポスト
播州赤穂駅から一番大きな通りを南に下り、義士あんどんの隣の通りを南に下りますと、大体赤穂城大手門のあたりにつくのですが、その脇にひっそりと存在するのがこの郵便ポストです。ファンディスクでちょこっと出てくる程度の場所なのもあって、とりわけ目立っているわけでもなく、とりわけ見物なわけでもなく…といった印象です。まあヒロインの中では主税が一番好きですし、個人的には思い出の場所?とも言えなくはないんですけれども。
大石邸長屋門
かの有名な観光地でもある、大石邸の長屋門です。早籠が江戸から到着して、叩いた門がおそらくこの門ですが、詳しいことは長屋門の隣にある看板に説明が書いてあります。ちなみに、この門の後ろ側がちょうど大石邸の庭となっており、本編でも結構見覚えのある場所です。
そういうわけで隣の看板の説明を。ここについては自分も完全に知らなかったのですが、この門は復元みたいですね。何が現存で何が復元なのかという問題は、結構自分でも知らない部分ではあるので、(将来役に立つかどうかはともかく)また知識が一つ増えたという感じでしょうか。地味に広さの紹介などもあるのですが、自分の想像していたよりは狭かったです。この時代の広いの定義がどの程度なのかは分かりませんが。
山鹿素行胸像
赤穂浪士とは深いつながりがある山鹿素行の胸像です。なんでも、赤穂藩にお流れになってから、赤穂浪士に戦術の指導をしたのがこの山鹿素行だとか。戦術というのはおそらく、本編でも忠実に説明されていた、吉良邸を攻める時に二手に分かれたあの方法だと思いますが、赤穂浪士たちにとってみれば、中々の恩人だったのではないでしょうか。
大石神社(赤穂)
大石神社といえば、山科に行ったときに同じ名前の神社を訪問しましたが、向こうもこちらも、どちらも等しく大石神社です。ちなみにこちらの方は明治以降に建てられた神社だということで、特別ゆかりがあるというよりかは、明治以降に忠臣蔵を祭る?為に出来た、という解釈をする方が正しいのかもしれません。
大石神社入口
神社までの通りの両脇には、義士たちの像が並んでいます。像自体は訪問するたびに色々な場所で見てきましたが、この像は大きさもあり、とても印象的でした。というかこれ、どうやって管理しているのだろうか…ちなみに、大石神社はかなり有名なこともあって、観光客は今まで来た場所以上には多かったです。それでも日が日だったので、そこまで多かったという訳ではありませんが。
大石神社本堂
とりわけいうこともない本堂の写真です。とりあえずお参りだけしてきました。ちなみに、このアングルで見て、大体右脇に資料館があり、左脇に大石邸の庭があります。実際、赤穂まで来て見るべきものは大石神社までに大抵見れるという解釈は大体正しいと思います。
資料館の近くにはこのような撮影用アイテムもあり、なるほどこれが本物なのかどうかは分かりませんが、観光地らしさというものを感じました。
大石邸庭
本編ほぼそのまんまの造りで、素直に凄いとは思ったのですが、池の水の色は大分緑に近いです。これもまた自然な感じがして良いんですけれども、もしかしたら元禄の頃はこの水がもっと澄んでいたのかもしれないと考えると胸が熱くなりますね(水を見るのが好き)。左側に少し進むと、先程の大石邸長屋門の裏側を見ることができます。本当にただの裏側だったので、写真は割愛しますが、義士の模型などもあり、再現に力を入れている様子が伺えました。
赤穂城跡
赤穂城門(厩口門)
なんか個人的には凄く頭に絵が残っている門なのですが、本編でそこまで出てきたわけではないし、しかも門の場所もそこそこ探すような場所で、とりわけこの門が有名であるとか、そういう類のものではありません。どちらかというと、堀一面に浮いてる水草?の方が印象に残りました(超失礼)。画像からも少しは分かると思いますが、かなり数浮いているので、訪問された方は見てみても良いかもしれません。
赤穂城跡
ハイ、本当に文字通り跡地です。跡地としか言いようがありません。写真中央奥に見えるのが本丸門で、先程の厩口門に比べたら、おそらくこっちの方がメジャーなんじゃないかなと思います。ただ、ガチ跡地なりに、跡地らしさを発揮してるのが、かつてあった城の機能?の場所をそれぞれに貼り付けてある点です。
日本語が怪しすぎるので写真を貼って直接説明しますが、つまりはこういうことです。このように縁側、押入などのように場所がそれぞれに貼り付けてあります。そうは言っても跡地は跡地、風情はあんまりないのは事実ですが、こういうものは今までの巡礼では見たことがなかったので、これはこれで新鮮かなあという印象はまた受けました。
②は赤穂城とその周辺を中心に書きましたが、次回の記事で、赤穂御崎や川のこと、雑談などを書いて赤穂編は締めようと思います。
この記事では、インレ様「ChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1-」及び「ChuSingura46+1 -忠臣蔵46+1- 武士の鼓動 (A samurai's beat)」の本編の一部の背景を使用しております。
前 赤穂編①
次 赤穂編③
赤穂城周辺
郵便ポスト
播州赤穂駅から一番大きな通りを南に下り、義士あんどんの隣の通りを南に下りますと、大体赤穂城大手門のあたりにつくのですが、その脇にひっそりと存在するのがこの郵便ポストです。ファンディスクでちょこっと出てくる程度の場所なのもあって、とりわけ目立っているわけでもなく、とりわけ見物なわけでもなく…といった印象です。まあヒロインの中では主税が一番好きですし、個人的には思い出の場所?とも言えなくはないんですけれども。
大石邸長屋門
かの有名な観光地でもある、大石邸の長屋門です。早籠が江戸から到着して、叩いた門がおそらくこの門ですが、詳しいことは長屋門の隣にある看板に説明が書いてあります。ちなみに、この門の後ろ側がちょうど大石邸の庭となっており、本編でも結構見覚えのある場所です。
そういうわけで隣の看板の説明を。ここについては自分も完全に知らなかったのですが、この門は復元みたいですね。何が現存で何が復元なのかという問題は、結構自分でも知らない部分ではあるので、(将来役に立つかどうかはともかく)また知識が一つ増えたという感じでしょうか。地味に広さの紹介などもあるのですが、自分の想像していたよりは狭かったです。この時代の広いの定義がどの程度なのかは分かりませんが。
山鹿素行胸像
赤穂浪士とは深いつながりがある山鹿素行の胸像です。なんでも、赤穂藩にお流れになってから、赤穂浪士に戦術の指導をしたのがこの山鹿素行だとか。戦術というのはおそらく、本編でも忠実に説明されていた、吉良邸を攻める時に二手に分かれたあの方法だと思いますが、赤穂浪士たちにとってみれば、中々の恩人だったのではないでしょうか。
大石神社(赤穂)
大石神社といえば、山科に行ったときに同じ名前の神社を訪問しましたが、向こうもこちらも、どちらも等しく大石神社です。ちなみにこちらの方は明治以降に建てられた神社だということで、特別ゆかりがあるというよりかは、明治以降に忠臣蔵を祭る?為に出来た、という解釈をする方が正しいのかもしれません。
大石神社入口
神社までの通りの両脇には、義士たちの像が並んでいます。像自体は訪問するたびに色々な場所で見てきましたが、この像は大きさもあり、とても印象的でした。というかこれ、どうやって管理しているのだろうか…ちなみに、大石神社はかなり有名なこともあって、観光客は今まで来た場所以上には多かったです。それでも日が日だったので、そこまで多かったという訳ではありませんが。
大石神社本堂
とりわけいうこともない本堂の写真です。とりあえずお参りだけしてきました。ちなみに、このアングルで見て、大体右脇に資料館があり、左脇に大石邸の庭があります。実際、赤穂まで来て見るべきものは大石神社までに大抵見れるという解釈は大体正しいと思います。
資料館の近くにはこのような撮影用アイテムもあり、なるほどこれが本物なのかどうかは分かりませんが、観光地らしさというものを感じました。
大石邸庭
本編ほぼそのまんまの造りで、素直に凄いとは思ったのですが、池の水の色は大分緑に近いです。これもまた自然な感じがして良いんですけれども、もしかしたら元禄の頃はこの水がもっと澄んでいたのかもしれないと考えると胸が熱くなりますね(水を見るのが好き)。左側に少し進むと、先程の大石邸長屋門の裏側を見ることができます。本当にただの裏側だったので、写真は割愛しますが、義士の模型などもあり、再現に力を入れている様子が伺えました。
赤穂城跡
赤穂城門(厩口門)
なんか個人的には凄く頭に絵が残っている門なのですが、本編でそこまで出てきたわけではないし、しかも門の場所もそこそこ探すような場所で、とりわけこの門が有名であるとか、そういう類のものではありません。どちらかというと、堀一面に浮いてる水草?の方が印象に残りました(超失礼)。画像からも少しは分かると思いますが、かなり数浮いているので、訪問された方は見てみても良いかもしれません。
赤穂城跡
ハイ、本当に文字通り跡地です。跡地としか言いようがありません。写真中央奥に見えるのが本丸門で、先程の厩口門に比べたら、おそらくこっちの方がメジャーなんじゃないかなと思います。ただ、ガチ跡地なりに、跡地らしさを発揮してるのが、かつてあった城の機能?の場所をそれぞれに貼り付けてある点です。
日本語が怪しすぎるので写真を貼って直接説明しますが、つまりはこういうことです。このように縁側、押入などのように場所がそれぞれに貼り付けてあります。そうは言っても跡地は跡地、風情はあんまりないのは事実ですが、こういうものは今までの巡礼では見たことがなかったので、これはこれで新鮮かなあという印象はまた受けました。
②は赤穂城とその周辺を中心に書きましたが、次回の記事で、赤穂御崎や川のこと、雑談などを書いて赤穂編は締めようと思います。
この記事では、インレ様「ChuSinGura46+1 -忠臣蔵46+1-」及び「ChuSingura46+1 -忠臣蔵46+1- 武士の鼓動 (A samurai's beat)」の本編の一部の背景を使用しております。
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