恋×シンアイ彼女 掘り下げネタ②
- 2016/06/12
- 19:19
なんで急遽こんなにすぐに第2回なるものを書こうと思ったかというと、なんと今日は姫野星奏ちゃんと國見洸太郎君の誕生日らしいです。本当におめでとう!!
何が凄いって2人の誕生日が同じなのが凄い。正真正銘完全無欠の同い年じゃないですか。誰が考えたのか知らないですけど、この作品の最後のあれを見た上でこれを意識しちゃうとなんか涙出ちゃいますよね。絶対に切り離せない強い心の繋がりがあるんだなあみたいなことを感じます。これが運命の出会いってやつなんでしょうか。自分にもこんな運命があれば少しは人生変わったんですかね。それはどうでもいいか。
というわけで2人の運命を感じたところではあるんですが、ラストのCGとか展開についてまた落書きしようと思います。別にこの解釈に正解はなくて、理詰め出来るほど自分も頭が良くはないんで、細かいところ突っ込まれると一気に破綻してしまいそうですけど。
最後には星奏は戻ってきてくれた
この説自体は自分はあんまり推したくないです。これについては①の方でちょろっとだけ書きましたけど、完全にエゴみたいなもんです。
「夢うつつに、かすかな音を聞いた。 なんとなく。目を覚ましたら、美しい思い出の続きが、俺を待っている。 そんな予感がした。」
ここをどう解釈するかで結末が大きく変わるんですが、こういう文章はとにかくずるい。泣けるとか泣けないとかそういう話じゃなくて、夢だとか思い出だとか予感だとか、そんな曖昧な言葉で大事なシーンが塗り固められていて、何を伝えたいのかいまいちはっきりしないんです。おかげでどうとでも解釈ができるし、信者的には嬉しいですが作品的にはどうなんだ?とならないこともないです。
仮に星奏が最後に本当に戻ってきたとしたら、最後に洸太郎が星奏に向けて才能を昇華した(もしくは全力で追い求めた結果として小説を書いた)のが星奏に届いたということになります。星奏としては、それが何に向けたものであるかはともかく洸太郎の為を思って傍を去ったはずなのに、その気持ちを凌駕するような愛情を洸太郎に与えられてしまい、自分が今までしてきたことの重大さに気づいたとでも言えばいいんでしょうか、強い想いを自分にだけ向けてくれる人の傍に今度こそいたいと、心から感じたのかもしれません。
個人的には、ここでようやく届くというのは分からなくもないんですが、最後の最後に本当に届いてしまうというのもそれはそれで都合が良すぎるように思えます。ラブレターの返信もしないで、学生時代も突然自分の傍を去ってしまい、しまいには社会人になって3度目の別れを持ち出してきて、そこからやっぱり洸太郎の傍にいたいですなんていうのは、勿論洸太郎と星奏は嬉しいでしょうし2人のことを考えればお互いなんだかんだで納得しちゃうのは分からなくもないんですが、それでも自分としては「ここまで来てこれはちょっとないな」とか考えてしまいます。星奏は洸太郎の永遠の憧れの対象であってほしいし、星奏にとっての洸太郎は心の片隅で生き続けるような存在であってほしいです。
最後の星奏は洸太郎の想像にすぎない
終章が洸太郎の物語、そして今まで届かないと分かっていながらも必死に星奏だけを追い求め続けた洸太郎の末路としては、こちらの方が圧倒的に美しいと思います。
こちらの場合は、最後に書いた小説「お前はアルファコロン」が星奏に届いたかどうかは全く分かりません。星奏は行方をくらました挙句二度とコンタクトを取ってくれないですから、最後に星奏が帰ってくるような分かりやすい届き方はせず、せいぜいただ一人自分だけに向けられたアルファコロンの小説を、洸太郎の全力を感じ泣きながら読むようなシーン程度しか思いつきません。
最後のCGは洸太郎の想像でしかない前提で話を進めると、これは前回も話したんですけど、小説家としての洸太郎の凄まじいほどの成長が見られます。今まではただ追いかける対象であり人生の目的だった姫野星奏のことを想像できるようになる。相手が今どんな顔をしているのかとか、例えば今横にいたらどんな顔をしていたんだろうなとか。そういう幻想とか夢物語が目を閉じたら浮かんでくるかもしれなくて、そこに実際に星奏がいるわけじゃないけど、洸太郎が完全にやり切った充実感とともにこれを手に入れることができたのなら、この先星奏を追いかけるかどうかはともかく、ひとまず物語としては洸太郎はゴールにたどり着いたことになります。
星奏が今どこで何をしているのかは分からないけど、それでも洸太郎はやり切って星奏の為の最高の人生を生きたと考えれば、特に終章では星奏の視点が悉くカットされてることも含めて、ある人の届きそうで届かない、あと1ミリの距離が埋められない恋の物語として非常に綺麗な結末を迎えるわけです。
星奏ってあの後何してるんでしょうね。グロリアスデイズの時と同じで洸太郎のことを考えながら後悔と懺悔の気持ちに蝕まれて生きているのでしょうか。それだけだとしたらちょっとかわいそうですけど、自分で選択した道である以上、洸太郎に対する想いが彼女を前に進ませているのかもしれません。それこそ洸太郎に直接届けるわけではないけど、自分も洸太郎のことだけを追い求めて音楽を書いて生きていくみたいな。それで食っていけるかどうかは別ですけどね。そんな一筋縄な生き方をするような人にも思えないですけど。星奏もまた洸太郎同様に不器用なので、意外とこういう単純さは兼ね備えていそうですが。
ちなみに自分は、ED曲「GLORIOUS DAYS」の「どこかで聞いたメロディ 誰にも届かなくてもいい たった一人 君のために」ってフレーズが大好きなんですけど、ここから軽く妄想すると、グロリアスデイズは星奏からたった一人洸太郎に向けて作られた曲ということになります。もしこの通りならお互いに考えることが同じすぎるし、星奏もどこか星の片隅でたった一人の為の作曲活動を続けていると考えるのが綺麗です。不器用だけどこういう愛の形って憧れますよね。肉体的には何度くっついても離れてしまうのに、心の繋がりはどんなに離れても途切れることはない。運命の赤い糸とは微妙に違うかもしれませんが、つまりこの2人は2人揃ってようやくひとつなんですよ。どっちかが欠けると本質的に成り立たないような人間なのだと思います。
まとめ
また根拠もなく妄想を垂れ流して終わりましたが、以前書いたように離別エンドって大好きなんですよね。好きなものはなにがどうあれ色々考えたくもなるんですよ。というわけで適当な締めですが今回はこれで終わりです。次回があるとしたら新堂彩音ちゃんの話をしようと思います。
何が凄いって2人の誕生日が同じなのが凄い。正真正銘完全無欠の同い年じゃないですか。誰が考えたのか知らないですけど、この作品の最後のあれを見た上でこれを意識しちゃうとなんか涙出ちゃいますよね。絶対に切り離せない強い心の繋がりがあるんだなあみたいなことを感じます。これが運命の出会いってやつなんでしょうか。自分にもこんな運命があれば少しは人生変わったんですかね。それはどうでもいいか。
というわけで2人の運命を感じたところではあるんですが、ラストのCGとか展開についてまた落書きしようと思います。別にこの解釈に正解はなくて、理詰め出来るほど自分も頭が良くはないんで、細かいところ突っ込まれると一気に破綻してしまいそうですけど。
最後には星奏は戻ってきてくれた
この説自体は自分はあんまり推したくないです。これについては①の方でちょろっとだけ書きましたけど、完全にエゴみたいなもんです。
「夢うつつに、かすかな音を聞いた。 なんとなく。目を覚ましたら、美しい思い出の続きが、俺を待っている。 そんな予感がした。」
ここをどう解釈するかで結末が大きく変わるんですが、こういう文章はとにかくずるい。泣けるとか泣けないとかそういう話じゃなくて、夢だとか思い出だとか予感だとか、そんな曖昧な言葉で大事なシーンが塗り固められていて、何を伝えたいのかいまいちはっきりしないんです。おかげでどうとでも解釈ができるし、信者的には嬉しいですが作品的にはどうなんだ?とならないこともないです。
仮に星奏が最後に本当に戻ってきたとしたら、最後に洸太郎が星奏に向けて才能を昇華した(もしくは全力で追い求めた結果として小説を書いた)のが星奏に届いたということになります。星奏としては、それが何に向けたものであるかはともかく洸太郎の為を思って傍を去ったはずなのに、その気持ちを凌駕するような愛情を洸太郎に与えられてしまい、自分が今までしてきたことの重大さに気づいたとでも言えばいいんでしょうか、強い想いを自分にだけ向けてくれる人の傍に今度こそいたいと、心から感じたのかもしれません。
個人的には、ここでようやく届くというのは分からなくもないんですが、最後の最後に本当に届いてしまうというのもそれはそれで都合が良すぎるように思えます。ラブレターの返信もしないで、学生時代も突然自分の傍を去ってしまい、しまいには社会人になって3度目の別れを持ち出してきて、そこからやっぱり洸太郎の傍にいたいですなんていうのは、勿論洸太郎と星奏は嬉しいでしょうし2人のことを考えればお互いなんだかんだで納得しちゃうのは分からなくもないんですが、それでも自分としては「ここまで来てこれはちょっとないな」とか考えてしまいます。星奏は洸太郎の永遠の憧れの対象であってほしいし、星奏にとっての洸太郎は心の片隅で生き続けるような存在であってほしいです。
最後の星奏は洸太郎の想像にすぎない
終章が洸太郎の物語、そして今まで届かないと分かっていながらも必死に星奏だけを追い求め続けた洸太郎の末路としては、こちらの方が圧倒的に美しいと思います。
こちらの場合は、最後に書いた小説「お前はアルファコロン」が星奏に届いたかどうかは全く分かりません。星奏は行方をくらました挙句二度とコンタクトを取ってくれないですから、最後に星奏が帰ってくるような分かりやすい届き方はせず、せいぜいただ一人自分だけに向けられたアルファコロンの小説を、洸太郎の全力を感じ泣きながら読むようなシーン程度しか思いつきません。
最後のCGは洸太郎の想像でしかない前提で話を進めると、これは前回も話したんですけど、小説家としての洸太郎の凄まじいほどの成長が見られます。今まではただ追いかける対象であり人生の目的だった姫野星奏のことを想像できるようになる。相手が今どんな顔をしているのかとか、例えば今横にいたらどんな顔をしていたんだろうなとか。そういう幻想とか夢物語が目を閉じたら浮かんでくるかもしれなくて、そこに実際に星奏がいるわけじゃないけど、洸太郎が完全にやり切った充実感とともにこれを手に入れることができたのなら、この先星奏を追いかけるかどうかはともかく、ひとまず物語としては洸太郎はゴールにたどり着いたことになります。
星奏が今どこで何をしているのかは分からないけど、それでも洸太郎はやり切って星奏の為の最高の人生を生きたと考えれば、特に終章では星奏の視点が悉くカットされてることも含めて、ある人の届きそうで届かない、あと1ミリの距離が埋められない恋の物語として非常に綺麗な結末を迎えるわけです。
星奏ってあの後何してるんでしょうね。グロリアスデイズの時と同じで洸太郎のことを考えながら後悔と懺悔の気持ちに蝕まれて生きているのでしょうか。それだけだとしたらちょっとかわいそうですけど、自分で選択した道である以上、洸太郎に対する想いが彼女を前に進ませているのかもしれません。それこそ洸太郎に直接届けるわけではないけど、自分も洸太郎のことだけを追い求めて音楽を書いて生きていくみたいな。それで食っていけるかどうかは別ですけどね。そんな一筋縄な生き方をするような人にも思えないですけど。星奏もまた洸太郎同様に不器用なので、意外とこういう単純さは兼ね備えていそうですが。
ちなみに自分は、ED曲「GLORIOUS DAYS」の「どこかで聞いたメロディ 誰にも届かなくてもいい たった一人 君のために」ってフレーズが大好きなんですけど、ここから軽く妄想すると、グロリアスデイズは星奏からたった一人洸太郎に向けて作られた曲ということになります。もしこの通りならお互いに考えることが同じすぎるし、星奏もどこか星の片隅でたった一人の為の作曲活動を続けていると考えるのが綺麗です。不器用だけどこういう愛の形って憧れますよね。肉体的には何度くっついても離れてしまうのに、心の繋がりはどんなに離れても途切れることはない。運命の赤い糸とは微妙に違うかもしれませんが、つまりこの2人は2人揃ってようやくひとつなんですよ。どっちかが欠けると本質的に成り立たないような人間なのだと思います。
まとめ
また根拠もなく妄想を垂れ流して終わりましたが、以前書いたように離別エンドって大好きなんですよね。好きなものはなにがどうあれ色々考えたくもなるんですよ。というわけで適当な締めですが今回はこれで終わりです。次回があるとしたら新堂彩音ちゃんの話をしようと思います。