恋×シンアイ彼女 掘り下げネタ⑤
- 2018/01/02
- 23:39
年末に少し恋×シンアイ彼女について沢山話す機会があったので、そこで聞いた話なんかをまとめて、自分なりに印象的だった解釈(聞いたもの、その場で生まれたものなど含めて)少しだけまとめておきたいと思います。
ちなみに大変申し訳ない話なのですが全部が全部記憶できているわけではありませんでした。まあ内容が濃い話になるほど細部を覚えているのは難しいことなので仕方がないとも言えます(言い訳)。またこのような機会があればその時にでも煮詰めたいと思います。
姫野星奏が最後にいなくなったのは、自分が洸太郎にとって迷惑だと認識しているからという解釈について
クリエイターという存在は本質的には孤独です。手伝ってくれる存在がいればそんなことはないようにも見えますが、結局最初は自分で生み出して、最後は自分で完成させなければならない。これはおそらく星奏も洸太郎も同じであり、この点において違いはあまりないように思えます。
前回の記事でも話したことなんですが、星奏が音楽を完成させるきっかけになっているのは洸太郎の存在です。もっと言えば、洸太郎と過ごした町があって、そこに洸太郎がいるということ。これについては自分では辿り着けない考えだったので一緒に話した皆さんの意見が大変参考になりました(星奏が海に行っただけでは星の音を聞けなかったという描写より)。星奏が洸太郎と会っている場所が思い出の町以外にないのはこれの裏付けにもなりそうです。
逆に洸太郎の側としては、星奏の存在が小説を書くきっかけになっているのですが、星奏とは真逆の形。星奏が洸太郎に会うことで才能を引き出しているのに対して、洸太郎は星奏がいなくなることで自分の才能を引き出している。自分の才能が相手に依存しているという面では一緒ですが、才能が発揮されるきっかけは全く違ったものになっている。
ちなみに1回目の創作だけは2人とも自分の才能であり実力です。若いからこそある自信だったとも言える。洸太郎の小説は星奏が音楽を作るきっかけになる程度には響くものだっただろうし、星奏が最初に作った曲はバンドの作曲を担当させたいと思わせるくらいには名曲だった。思えばこの時は2人とも一番純粋な気持ちで創作に打ち込めていたのだと思います。2回目以降に関しては星奏はスランプで洸太郎に会いに来るという洸太郎依存の側面があるし、洸太郎としてもいなくなった星奏がきっかけになっていますので。
問題はこの後星奏が洸太郎の才能のきっかけに気づいてしまったかもしれないという可能性です。具体的には2回目の小説を書いた時(星奏が洸太郎の2作目の小説を読んだ時)、星奏がその小説をどう思ったのかという問題。しかしここでも2つの解釈が生まれます。内容は真逆ですが、どちらも星奏の内面が描かれていないことを考えると問題ない気がします。
・洸太郎の小説が小学生の時のものに比べて劣っていたという解釈
→自分に影響を受けなければもっといい作家になれた可能性を考え、洸太郎の未来を潰してしまったかもしれないと後悔している
・洸太郎の小説が小学生の時のものに比べて良いものだったという解釈
→自分がいなくなるというきっかけに洸太郎の才能が花開き、洸太郎の元を去ることにより彼はもっといい小説が書けるのではないかと考えている
この2つは真逆の解釈でありながら、星奏の心理を上手くついているように見えます。それは「星奏が洸太郎のことを考えて行動している」という点。結局星奏が音楽を作り始めたのは洸太郎がきっかけですから、自分が洸太郎の才能を潰してしまうかもしれないと考えるとそれは良しとしないだろうし、逆に自分がいなくなることで才能が開花するならば、同じクリエイターとしてそういう後押しはしてあげたいと考えるのが自然でしょう。
仮に小学生の頃より出来が劣っているように見えたとしてなぜ戻ってきたのか?という点については、どちらにしろ星奏には届くものだったというので説明がつきます。もとより洸太郎の小説は星奏1人に向けたようなものなので、その本人が感銘を受けない線は殆どないのでしょう。
前者の解釈については本当に洸太郎のことが好きだったのかという部分を考えると疑問は残ります。そもそも学生時代本当に愛し合っていたという保証がありませんからね。ただ洸太郎がきっかけになって自分が音楽の道を進むようになったこと、再び星の音を聞けるようになったことは事実なので、実質洸太郎が星奏の恩人のような存在でもあります。
星奏が最後に書いた手紙の中にある「あなたを利用する」という表現、これが少し引っかかっていて大変難しい。星奏が洸太郎をきっかけにして音楽を書いていたのは事実ですが、洸太郎もまた星奏を利用して小説を書いていたという経緯があります。結局2人ともたった1人の相手のことを考えながら創作に打ち込んでいたわけで、そう考えると利用していた、というよりかは単なるラブレターのようなものに近い。
ただ星奏の音楽はラブレターでありながらちゃんと大衆にも響くような評判を獲得するだけの曲で、洸太郎の小説はどちらかというと星奏以外への評判は悪かった。お互いにメジャーデビューの身でありながら知名度の差は歴然だったはずです。このあたりのことに負い目を感じているならば、自分だけが相手を利用した、という思考に行きつくのも考えられなくはありません。
ここで自分が思うのは、2人とも最初は純粋な気持ちでお互いをクリエイターとして尊敬していたわけで、成長してお互いを利用しているのもその延長戦に過ぎないのではないかということです。表向きでは利用しているように見えても、本質的にはお互い小学生の頃と同じ動機みたいな。
終始星奏の心情がよく分からない作品だからこそ、利用しているという表現がネガティブに捉えられてしまいがちな部分があります。そもそも利用するという表現は元々洸太郎が終章で星奏に向かって使った表現のひとつだし(それをわざと使いまわした可能性がある)、高校生の最後に突然いなくなったことに対して相当の負い目を感じている線もあるからです。
少し雑なまとめにはなりますが、星奏の心情は分からなくとも、星奏が洸太郎のことを相当大切にしていることを推測できるような描写はそこら中に散らばっています。これをもとにして考えてみると、同じく無から何かを生み出すクリエイターとして、そして洸太郎のことを良く見てきた存在として、自分が邪魔にならないようにと身を引こうと考えてしまうのは不自然な思考ではないように思えました。
当然洸太郎の側としてはかなり本気で結婚したそうでしたけどね……。
途中から何が言いたかったのか分からなくなってしまいましたが今回はこのあたりで。また機会があれば続きを書きたいと思います。
ちなみに大変申し訳ない話なのですが全部が全部記憶できているわけではありませんでした。まあ内容が濃い話になるほど細部を覚えているのは難しいことなので仕方がないとも言えます(言い訳)。またこのような機会があればその時にでも煮詰めたいと思います。
姫野星奏が最後にいなくなったのは、自分が洸太郎にとって迷惑だと認識しているからという解釈について
クリエイターという存在は本質的には孤独です。手伝ってくれる存在がいればそんなことはないようにも見えますが、結局最初は自分で生み出して、最後は自分で完成させなければならない。これはおそらく星奏も洸太郎も同じであり、この点において違いはあまりないように思えます。
前回の記事でも話したことなんですが、星奏が音楽を完成させるきっかけになっているのは洸太郎の存在です。もっと言えば、洸太郎と過ごした町があって、そこに洸太郎がいるということ。これについては自分では辿り着けない考えだったので一緒に話した皆さんの意見が大変参考になりました(星奏が海に行っただけでは星の音を聞けなかったという描写より)。星奏が洸太郎と会っている場所が思い出の町以外にないのはこれの裏付けにもなりそうです。
逆に洸太郎の側としては、星奏の存在が小説を書くきっかけになっているのですが、星奏とは真逆の形。星奏が洸太郎に会うことで才能を引き出しているのに対して、洸太郎は星奏がいなくなることで自分の才能を引き出している。自分の才能が相手に依存しているという面では一緒ですが、才能が発揮されるきっかけは全く違ったものになっている。
ちなみに1回目の創作だけは2人とも自分の才能であり実力です。若いからこそある自信だったとも言える。洸太郎の小説は星奏が音楽を作るきっかけになる程度には響くものだっただろうし、星奏が最初に作った曲はバンドの作曲を担当させたいと思わせるくらいには名曲だった。思えばこの時は2人とも一番純粋な気持ちで創作に打ち込めていたのだと思います。2回目以降に関しては星奏はスランプで洸太郎に会いに来るという洸太郎依存の側面があるし、洸太郎としてもいなくなった星奏がきっかけになっていますので。
問題はこの後星奏が洸太郎の才能のきっかけに気づいてしまったかもしれないという可能性です。具体的には2回目の小説を書いた時(星奏が洸太郎の2作目の小説を読んだ時)、星奏がその小説をどう思ったのかという問題。しかしここでも2つの解釈が生まれます。内容は真逆ですが、どちらも星奏の内面が描かれていないことを考えると問題ない気がします。
・洸太郎の小説が小学生の時のものに比べて劣っていたという解釈
→自分に影響を受けなければもっといい作家になれた可能性を考え、洸太郎の未来を潰してしまったかもしれないと後悔している
・洸太郎の小説が小学生の時のものに比べて良いものだったという解釈
→自分がいなくなるというきっかけに洸太郎の才能が花開き、洸太郎の元を去ることにより彼はもっといい小説が書けるのではないかと考えている
この2つは真逆の解釈でありながら、星奏の心理を上手くついているように見えます。それは「星奏が洸太郎のことを考えて行動している」という点。結局星奏が音楽を作り始めたのは洸太郎がきっかけですから、自分が洸太郎の才能を潰してしまうかもしれないと考えるとそれは良しとしないだろうし、逆に自分がいなくなることで才能が開花するならば、同じクリエイターとしてそういう後押しはしてあげたいと考えるのが自然でしょう。
仮に小学生の頃より出来が劣っているように見えたとしてなぜ戻ってきたのか?という点については、どちらにしろ星奏には届くものだったというので説明がつきます。もとより洸太郎の小説は星奏1人に向けたようなものなので、その本人が感銘を受けない線は殆どないのでしょう。
前者の解釈については本当に洸太郎のことが好きだったのかという部分を考えると疑問は残ります。そもそも学生時代本当に愛し合っていたという保証がありませんからね。ただ洸太郎がきっかけになって自分が音楽の道を進むようになったこと、再び星の音を聞けるようになったことは事実なので、実質洸太郎が星奏の恩人のような存在でもあります。
星奏が最後に書いた手紙の中にある「あなたを利用する」という表現、これが少し引っかかっていて大変難しい。星奏が洸太郎をきっかけにして音楽を書いていたのは事実ですが、洸太郎もまた星奏を利用して小説を書いていたという経緯があります。結局2人ともたった1人の相手のことを考えながら創作に打ち込んでいたわけで、そう考えると利用していた、というよりかは単なるラブレターのようなものに近い。
ただ星奏の音楽はラブレターでありながらちゃんと大衆にも響くような評判を獲得するだけの曲で、洸太郎の小説はどちらかというと星奏以外への評判は悪かった。お互いにメジャーデビューの身でありながら知名度の差は歴然だったはずです。このあたりのことに負い目を感じているならば、自分だけが相手を利用した、という思考に行きつくのも考えられなくはありません。
ここで自分が思うのは、2人とも最初は純粋な気持ちでお互いをクリエイターとして尊敬していたわけで、成長してお互いを利用しているのもその延長戦に過ぎないのではないかということです。表向きでは利用しているように見えても、本質的にはお互い小学生の頃と同じ動機みたいな。
終始星奏の心情がよく分からない作品だからこそ、利用しているという表現がネガティブに捉えられてしまいがちな部分があります。そもそも利用するという表現は元々洸太郎が終章で星奏に向かって使った表現のひとつだし(それをわざと使いまわした可能性がある)、高校生の最後に突然いなくなったことに対して相当の負い目を感じている線もあるからです。
少し雑なまとめにはなりますが、星奏の心情は分からなくとも、星奏が洸太郎のことを相当大切にしていることを推測できるような描写はそこら中に散らばっています。これをもとにして考えてみると、同じく無から何かを生み出すクリエイターとして、そして洸太郎のことを良く見てきた存在として、自分が邪魔にならないようにと身を引こうと考えてしまうのは不自然な思考ではないように思えました。
当然洸太郎の側としてはかなり本気で結婚したそうでしたけどね……。
途中から何が言いたかったのか分からなくなってしまいましたが今回はこのあたりで。また機会があれば続きを書きたいと思います。